感染症対策と通常医療を高次元で両立させた新本館
目次
九州で屈指の先端医療施設
福岡大学病院の開設は1973年。標榜診療科19科、405床の病床数でスタートした同病院は「あたたかい医療」を基本理念に患者中心の高度な地域医療に取り組むかたわら、臨床研究や高度な医療技術開発など、先端的研究に取り組んできました。1994年には特定機能病院の指定を受け、名実ともに地域の中核拠点病院となっています。
先端医療への取り組みの一端として、福岡大学病院は西日本屈指の規模を誇る総合周産期母子医療センターを擁しているほか、低侵襲の内視鏡手術やロボット支援手術など外科領域の最新技術を導入。また、臓器別にセンター化し内科と外科の垣根がないトータルケアを目指しています。
高機能を追求する大学病院
福岡大学病院の旧本館建物は1973年の開設以来使い続けられ、老朽化が進んでいました。そのため2021年より既存本館建物と隣接する新診療棟(現在の中央棟)南側のグラウンドで新たな本館の新築工事が進められてきました。2024年3月に竣工した新本館は救命救急センターが移設され、重傷の救急患者や術後患者を治療するための集中治療室の充実に加え、早産児や低出生体重児などを集中的に管理・治療する新生児集中治療室(NICU)の病床を既存の15から24床に増床しています。さらに手術部も遠隔操作が可能ながん治療のためのロボット手術室が複数設けられ、これも14から20室(うち2室は将来対応)へ増室。地下1階・地上12階の建物屋上には全国の消防・ドクターヘリに対応可能なヘリポートが備えられました。
また、九州初のロボット指導教育施設として、全国からロボット手術の習得を目指す外科医が訪れるなど、次世代の人材育成が可能な大学病院として新本館にはカンファレンス室を各病棟に設置。病棟のガラス張りのカンファレンス室は、開かれた教育施設としての福岡大学病院を象徴しているようです。
1階接続通路の正面に位置するシンボルツリー。新本館に訪れた患者・家族を温かく迎え入れる。
清水建設株式会社医療福祉施設設計部
設計長 山本武さん
清水建設株式会社九州支店設計部主任 新野将平さんオール免震化を施した一棟形式の新本館
山本 本計画は、昭和48年以来、特定機能病院、災害拠点病院のほか、福岡市西部地区および周辺地域の中核的医療センターとしての役割を担ってきた福岡大学病院旧本館の老朽化に伴う移転増築計画です。高い公共性と安全性を確保し、新型コロナウイルス感染症などの新興・再興感染症にも対応できる高度先駆的医療を提供する618床の病棟(中央棟を含め771床)を増築棟として新たに整備しました。病院機能の充実はもちろんのこと、福岡大学病院が掲げる基本理念「あたたかい医療」を具現化するため、患者のアメニティの充実と医療スタッフの職場環境の向上を追求しました。この計画は、新型コロナウイルスの流行の最中に始まり、病院とマスク越しに密な打ち合わせを行うなど、非常に厳しい環境下で進行しました。建物の特徴としては、必要機能を集約した1棟増築、「シミズNew-RCST構法」採用によるロングスパンかつフレキシビリティの高い架構計画、プランニングの工夫による病院機能面積の最大化、「病院物流動線計画支援システム」や「看護動線シミュレーションシステム®」を用いた動線効率アップを反映したプランニングなど、様々な技術を用いて免震建物の一棟化を行い、患者と医療スタッフにとっての機能性と安全性を大幅に向上させました。
エビデンスが求められる病院設計
山本 病院設計の難しさのひとつは、エビデンスに基づいた設計が求められることです。特に感染症病棟の設計においては、既存の知見を活用しつつも、新型コロナウイルスのような未知の感染症に対して建築工学的にどこまで対策を講じるべきかを常に模索しながら設計に取り組んでいました。
新野 設計の初期段階では、既存棟の救命救急センターや一般病棟で、センサーを設置して粒子濃度やCO₂濃度の測定を行い、それぞれの挙動を分析しました。「濃度の変動と病室内での様子に関係があるのではないか」と考え、実際に医療行為に従事している医師・スタッフからのヒアリングも実施しました。得られた知見の全てを設計に反映できたわけではありませんが、パンデミックの経験を活かした感染症対策を形にできたことがこのプロジェクトの成果であると考えています。
VRを用いて病院ならではの合意形成を行う
山本 1階の建物中心に設置された共用ホールのツリーは、福岡大学新本館を象徴するシンボルです。このツリーの造形は、コンピュテーショナルデザインの手法を用いて、綿密にリブ形状、厚み、ピッチなどを決定しました。また、折上や足元の照明はサーカディアン照明とし、調光調色機能による運用で、時間ごとに明るさと光色を変化させることで、室内でありながら自然光と同じような1日の流れを表現しました。照明配置、光の伸び具合、色温度に至るまで、模型やモックアップで入念に検討を重ね、シンボルツリーの完成に至りました。
病院設計では、施主との合意形成のために、病室などの主要な部屋のモデルルームを制作し、現物確認を行うことが一般的です。しかし、今回の取り組みでは、ベッド周りのメディカルコンソールや設備アウトレットなど、多くのバリエーションが生じる部分について、製作コストや設置場所、期間の課題があるため、VRモックアップを活用しました。さらに、共用ホールや集中治療室などのインテリア、サイン、モニター位置を含めた空間全体のイメージについてもVRを用い、医療スタッフの要望に応じて打ち合わせの場でデータを変更し確認していただくことで、効率的に決定を進めました。
培った設計ノウハウで費用対効果と快適性を融合
福岡大学病院は2020年4月にはいち早く新型コロナウイルス感染症患者の受け入れを開始し、7月にはECMOセンターを開設するなど感染症への対応は迅速でした。こうした姿勢は新本館の在り方にも大きな影響を及ぼしています。顕著なのが8階呼吸器内科・外科病棟です。この病棟はパンデミック発生時に簡易な設定変更で日常的な運用から有事の運用に切り替えることができるのが特徴です。
スタッフステーションに透明ビニールカーテンを掛け、隙間を目張りすることで簡易に病棟内の清潔区域と汚染区域を区画でき、防火扉やセキュリティ扉を閉めることで隣接する病棟とも区画されます。防災センターからの遠隔操作によって空調の設定変更をすることで病棟全体が陰圧となり、スタッフステーションは清潔を保つために病室や病棟廊下に対して陽圧となります。また、通常は処置室として使われる部屋は、有事には前室として用いて、スタッフがスタッフステーション(陽圧区域)から病棟廊下(陰圧区域)に出入りする際のバッファゾーンとして用いるなど、建築計画と設備計画が整合した厳格なゾーニングがなされています。
さらに陰圧区域の病室のうち、より高度な感染症対策が施された空気感染対策病室とエアロゾル感染対策病室を併設するなど、やみくもにハイスペックな感染症対策を複数設けるのではなく、今回のパンデミックから得た知見を生かし、費用対効果と省エネルギー性能とのバランスが考え抜かれたプランニングが行われています。
こうした考え方は院内の水まわりなどの設備の選択にも表れています。上記の呼吸器内科・外科病棟や5階の総合周産期母子医療センター、3階の手術室フロアや2階の集中治療室フロアのスタッフステーションなど、清潔度の高さが要求される場所においては平場がないため水がたまらず清潔性が担保される手洗い器が設置され、日射や視線を遮るブラインドが設けられる窓には羽根にホコリがたまらないよう、二重サッシにブラインドが内蔵されています。一方で高い清潔度が要求されない場所では、通常スペック(平場付き手洗い、ブラインド表しなど)の設備が用いられるなど、メリハリのあるコストコントロールが図られています。
建築で応える感染症対策への配慮もさることながら、新本館建築において貫かれているのは患者への「あたたかい医療」の提供に寄り添う建築計画です。病室の窓は入院患者がベッドから窓外を眺められるようにサッシの下端が床から50㎝まで下げられ、柱は隅切りが施されて患者の視界を遮らないように配慮されています。また、各病棟の個室にトイレがついているのはもちろん、4床室は共用トイレが病室の隣に設けられています。病室の近傍にトイレがあることで患者のADL向上を支援するとともに、病室内にトイレの入り口を設けないことで患者のプライバシーにも配慮しています。こうしたきめ細やかな患者アメニティの充実は随所に見られます。福岡大学病院新本館は、最先端の医療の充実と患者の快適性を高次元で実現させた病院といえるでしょう。
外来
病棟
分散トイレ
水まわりは「手の触れるところをひとつでも減らす」考えを徹底
新野 衛生器具については、ハンディキャップ用を除き、非接触を基本としています。小便器はもちろん、大便器の洗浄スイッチも非接触です。温水洗浄便座のボタンや大便器のふた、個室の扉など、どこかに手を触れることがあるため、トイレを出る際には手洗いを徹底することで接触感染を防ぐという意見もあります。しかし、今回のプロジェクトでは「手の触れるところをひとつでも減らすべき」という考えのもと、大便器の洗浄スイッチにも非接触タイプを採用しました。大便器のふたを無くしたのも、病院関係者とふたの有無に関するメリット・デメリットを話し合った結果です。衛生器具の仕様選定や適材適所での配置計画において、このような細部へのこだわりが重視されました。
山本 感染源を抑制するために、仕上げ材の選定と納まりにも配慮しました。具体的には、清掃性を高める工夫として、床材には拭き取りやすい長尺塩ビシートを基本とし、巾木を立ち上げたシームレスな納まりとしました。また、壁材には表面強化クロスを使用し、一定の拭き取りが可能なものを選びました。さらに、病原菌の増殖を防ぐためには湿潤な環境を避けることが重要であるため、手洗い器は平場のないタイプを選定しました。
利用者の心に寄り添う優しい色使い
山本 外観は、既存建物との一体感と機能性を象徴的に表現するためにモノトーンで統一しました。一方、内部については、「あたたかい医療」をコンセプトに、利用者の心に寄り添う優しい色使いをテーマにしました。アースカラーの柔らかい色調を取り入れ、病室の内装はホテルライクで患者の居心地に配慮した色合いを採用しています。
最新の知見に基づいた高次の感染症対策を実現
病棟端部に隔離エリアを設置
病棟全体を隔離エリアとし、疑い例と確定例のエリアを区画
スタッフは、緑ゾーンから黄ゾーンを経由して赤ゾーンに入る。ガウンは緑ゾーンで着衣し黄ゾーン(脱衣室)で脱衣
スイッチひとつでパンデミックモードに移行
新野 病院の設備設計では、数値化が難しい要素に直面することがあります。感染症対策もそのひとつです。2020年8月、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの最中に設計がスタートしました。既存棟で感染症と向き合うスタッフの姿を目の当たりにし、医療現場の生の意見を感染症対策に反映することが重要なポイントとなりました。
新本館には、「パンデミックモード」を導入しました。このシステムは、通常時に一般病棟や集中治療室として使用しているエリアを、感染症患者受け入れのための隔離病床・病棟として、迅速に運用変更が可能です。スイッチひとつでエリア全体を陰圧に切り替え、ビニールカーテンの設置と扉の開閉で清潔区域と汚染区域の明確なゾーニングが可能です。このシステムの最大の特徴は、感染症対策のための過剰で付加的な建築・設備の仕様がなく、普段から使われている扉や設備機器をそのまま利用できることです。簡単に運用変更ができることで、有事に繁忙な医療従事者や施設管理者の負担を軽減することにもつながると考えています。その他にも、空気感染やエアロゾル感染など、感染症の種類に応じた設えを用意するという新しい取り組みも行いました。パンデミックの経験から得た知見に基づき、使い勝手や費用対効果を意識した感染症対策が実現できたと考えています。
手洗いコーナー
あらゆる災害に強く、国内最高水準の省エネルギー性能を実現
災害発生時の医療機能維持が災害拠点病院の最重要課題
新野 災害拠点病院では、地震などの自然災害やそれによる断水・停電が発生した時にも、医療行為を継続できることが最も重要な課題となっています。基本設計は分棟案で計画されていましたが、当社では分棟を一棟にまとめる提案を行いました。これにより、全ての機能を免震構造の建物に集約することができ、地震に強い病院を実現することができました。
断水対策としては、隣接する既存棟を含めた3日間の給水量を確保した受水槽、下水道破断時にも排水を貯めることができる緊急排水槽を備えています。また、雑用水には井戸水を利用しているため、井戸水が枯れない限り、継続した給水が可能となっています。
停電対策としては、非常用発電機を3台設置しました。2台は建物用、1台は空調熱源用です。建物用の非常用発電機によって、72時間(3日間)は全てのコンセントから給電が可能になっています。停電時には、節電を目的として冷暖房を使わないことが一般的ですが、空調熱源用の非常用発電機を備えたことで、冷暖房も継続して使うことができます。真夏や真冬のピーク時にも60%程度の空調設備が稼働できるようになっています。さらに、災害発生時には、救命救急センターや集中治療室などの重要諸室の空調設備だけを稼働させることができる「災害時モード」を導入しました。これにより、限られたエネルギーを迅速に必要な場所へ供給することができるとともに、災害時に忙しいスタッフの負担軽減も期待できます。加えて、新興・再興感染症への対策も万全であるため、パンデミックを含むあらゆる災害に強い病院が実現しました。
大学病院として日本で初めて(※)のBELS認証5つ星を取得
新野 2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、建築物のエネルギー消費量削減が急務となっていますが、病院もその例外ではありません。病院は24時間365日稼働しており、医療機能を維持するために必要なエネルギーが多いため、オフィスなどと比べるとエネルギー消費量の大幅な削減が難しい用途のひとつです。省エネルギーを実現するために、屋根や外壁の断熱を強化し、高効率機器を積極的に採用し、電気とガスをバランスよく利用した空調熱源を導入しました。病院には、病棟のように終日利用されるエリアもあれば、外来のように日中だけ利用されるエリアもあります。利用時間を考慮した空調設備のゾーン分けも、エネルギー消費量削減に貢献しています。これら多様な省エネルギー手法により、BELS(建築物省エネルギー性能表示制度)で最高グレードの5つ星を取得しました。これは大学病院として日本で初めて(※)のことです。
また、病院は特殊排水(下水道に放流する前に処理が必要な排水)が多くあります。この特徴を活かし、混ぜても問題のない排水を同じ水槽に放流することで、水温や濃度を希釈し、排水処理にかかる補給水や薬剤を削減するシステムを構築しました。開院後に使用水量や薬剤投与量を測定したところ、既存棟に比べて大幅に削減できています。これにより、水資源の保全や施設の維持管理費削減にもつながっています。
山本 これらの取り組みは、持続可能な社会の実現に向けた一歩であり、病院という特殊な環境においても、環境負荷を最小限に抑える努力が続けられています。今後もさらなる技術革新とアイデアの融合によって、より一層の省エネルギー化が進むことが期待されます。環境への配慮と医療の質を両立させるための挑戦は、これからも続いていきます。
(※)2024年3月現在。一般社団法人住宅性能評価・表示協会「事例データ」による。
このように、福岡大学病院の新本館は、感染症を含めた災害対策や国内最高水準の省エネルギー性能を実現することができました。あらゆる状況下でも医療を途絶させない次世代の基幹病院として、新たなスタートを切りました。
建築概要
竣工年月 | 2024年3月 |
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所在地 | 福岡県 |
施主 | 学校法人福岡大学 |
設計 | 清水建設・東畑建築事務所共同事業体 |
延床面積 | 51,328,70㎡ |
病床数 | 618床 |